2013年5月18日土曜日

戦前のキリンビール工場


1870(明治3)年、アメリカ人ビール醸造技師のコープランドが本格的なビール醸造所「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」を建設しビールの製造販売を開始、1884(明治17)年に廃業、翌年同地に「ジャパン・ブルワリー」が設立された。
その3年後、同社はドイツ風の「キリンビール」を発売、その翌年に変更されたラベルデザインが現在のデザインの原型になっている。
1923年9月には関東大震災に見舞われて、北方天沼の山手工場は壊滅的な被害を受け、生麦に最新設備を備えた新工場を建設し移転した。
敷地は北方小学校及び麒麟(キリン園公園)公園となっていて、公園内には「麒麟麦酒開源記念碑」があり、北方小学校内に「ビール井戸」が残っている。

写真提供:本牧リボンファンストリート商店会

図:調査・作成は本牧在住の郷土史家・長沢博幸

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